俳優さん

高倉健さん、菅原文太さんと日本の俳優の大スターが続いて天に召されました。

誰もが知る大俳優です。

大きな穴が空いたような寂しい気持ちになります。

特に菅原文太さんは近年の日本の社会問題にも積極的に発言され、「反原発」「反戦」のメッセージを放たれていただけに、大きな存在を失った気がします。

著名人がちゃんと政治的な問題に発言するということがこの国ではどうも馴染みがないようで、新聞やテレビを見ていても、もっといろいろ発言したらいいのに。と思うこともしばしば。

自由な言論があってこその社会だし、文化だと思うのです。


特に3.11以降のこの国は大きな原発の事故がまだ収束していないのに、なかばなかったかのよう再稼働を急がせているし、集団的自衛権は解釈容認されてしまうし、秘密保護法は通過するし、消費税は上がるし、沖縄では美しい海を埋めて新たに基地を作ろうとしているし(沖縄の人々は先の知事選ではっきりと「NO」との意思を示されましたが、本土政府は基地移設への構えを崩そうとはしません)、

僕にははっきり言って何一つ良くなったことなどないのではないかと思います。



今年の5月3日の憲法記念日のことを思い出します。


京都の円山音楽堂で行われた憲法集会の時、豊田勇造さんのステージにサイドギターと出演させて頂きました。その時、菅原文太さんからメッセージが届き、

「憲法9条をノーベル平和賞に。その知らせを待ちながら、前を向いていきましょう。」というメッセージが読みあげれられました。


その文章の潔さに、胸打たれながら、青空の空のもと思い切って演奏することが出来ました。


演劇も音楽も人を魅せるという点で、現実とは違う「美」の世界を造ることが使命です。

しかしアーティストというのは現実からはなれた「美」の世界に思いをはせながらも、必死に今の「現実」を受け止めながら己のメッセージを伝えることも重要だと思うのです。


その意味で菅原文太さんの存在は本当に大きな人であったし、その意思をちゃんと受けとめなきゃなと思いました。


まだまだ彼らには伝えたいことがあったんじゃないかな、と思います。


高倉健さん、菅原文太さん、二人の大スターを偲ぶ師走です。